瞑想中に憑依されたというお話を聞くことがあります。
Googleも取り入れているマインドフルネス瞑想と聞くとオシャレなイメージがあり霊的な話とは無縁な気がしますが、実際その行為は悟りを開くための行法。
瞑想を深めていくと、ニュースや雑誌で取り上げられるようなストレス解消のためだけのものではなく、色んな神秘体験も現れてくるようになります。
その段階で霊に憑依される体験をされる方もいるのでしょう。
ただし私は憑依という現象にあまり肯定的ではありません。
今回は瞑想中に霊に憑依されるという現象について私なりの見解をお伝えしていきます。
除霊や浄化について
私はこれまでに除霊や土地の浄化などの依頼を何件か受けたことがあります。
こういった事を専門にしているわけではないのですが、気功施術をしているとなぜか除霊などの依頼を受けるのも少なくありません。
除霊と言うからには、そこには霊の存在があるわけですが、正直なところテレビで観るような『おどろおどろしい』霊の姿はありません。
私に視えるのはご本人様の強い思いです。
土地の浄化の場合も、その土地に住んでいた人たちの強い思いが視えます。
思い=自我となるわけですが、自我が暴走すると怒り、恨み、嫉妬などの際限のない強力な負のエネルギーとなり、肉体や物に封入されます。
私はこれら人の自我が霊の正体なのではないかと考えています。
だからこそ気功技術で除霊や浄化ができるのだと考えています。
瞑想中に憑依される現象
さて、本題に入りますが瞑想中に憑依される現象
先ほどの私の説から言いますと憑依現象の正体は私たちの自我が肉体に封入されることでした。
そのように考えると瞑想中の憑依現象の多くは瞑想者の自我ということになりそうです。
そして瞑想はこの自我から離れることを目的にしています。
ですから瞑想中に憑依されるというのは、元々自我に心が支配されていたのに、その事に気がつかなかった私たちが瞑想により気づき始めた現象と言えるのではないでしょうか。
そもそも私たちは自我にまみれていることを普通のこととして生活をしています。
そこへ瞑想をすることで真我が目覚めだし、自我という違和感に気づき、自我により作り出された精神的な辛さ、肉体の不調に気づけるようになります。
普通と思っていたことが瞑想をすることで違和感に変わるため、憑依として認識してしまうのではないかと思います。
また、自我を人や動物の形をした霊として視えるのは、あくまで視ている側がエネルギー体を具現化したものであると考えます。
例えば人に思いを送っているならば、送り相手の姿が視えたりなど、その姿を霊として捉えていると思われます。
憑依現象は喜ばしいこと
このように考えると瞑想中の憑依現象は瞑想段階が進んでいるという事で、喜ばしい事と考えることができるのではないでしょうか?
そしてもう少し瞑想段階が進むことで自我を客観的に感じることができるようになり解放され、本来の自分の心を取り戻すことができるようになります。
私が除霊をするときは、その人が抱える怒りや嫉妬の心に対して、もっと大きな心で包み込みます。
すると今までその人の中で締めていた怒りや嫉妬の割合がどんどん小さくなり、もうどうでも良くなってしまいます。
瞑想で縛られた心を開放するのも同様に、どんどん自分の心を広げていく感覚です。
全ては自分の心が作り出したもの
私はこのような解釈をしています。
悪徳商法にご注意を
話が若干ズレますが、除霊のために何十万、何百万といった水晶を買ったり、判子を買ったり
そんな話を聞くたびに悲しくなります。
確かに霊に憑依されたと感じるご本人やそのご家族にとって本当に一刻も早く良くなりたいという気持ちはよくわかります。
ただ、そんなものを買っても良くなるとは思えません。
ほんの少し高価なものを買ったという心の安心はあるかもしれませんが。
そんな事よりも瞑想により自分の心と対話をして不調をきたす原因を探っていく方が、はるかに改善の近道ではないかと思います。