禅病の原因と対策方法

瞑想をしていると頭痛がしたり、神経過敏になったりと体調が悪くなる人がいます。
このような状態を禅病と言います。
元々禅宗からできた言葉のようで熱心に禅の修行を行った人に現れる病気だということです。
一般的に瞑想は心身を健やかな状態にするために行うもので病気になったのでは元も子もありませんね。
今回は禅病の原因と対策をまとめましたので前もって対策をしておきましょう。
禅病になる原因
はじめに言ってしまいますが禅病になる原因については諸説紛々
よくわかっていないようです。
しかし、その中でも白隠慧鶴(はくいんえかく)というお坊さんが書かれた夜船閑話(やせんかんな)に禅病の原因とその対処法が書かれていて多くの人が参考にしています。
しかるに、その後、毎日の自分のありようをふり返ってみると、動と静の二境が全く調和していない。あるいは行き、あるいはとどまるというありようにしても、さっぱり洒脱自在ではない。
そこでわしは思った、「勇猛精進して修行に精彩を放ち、重ねていま一度、大死一番しょう」と。
そこで歯を喰いしばり、両眼をかっと見ひらき、寝食ともに廃せんとするほどの修行をしたのであった。それからひと月もたたぬうちに、心火逆上し、肺臓が焦げ枯れて、両足は氷雪の中に入れているように冷たくなり、両耳はまるで谷川のそばにでもいるようにざわざわと鳴った。
肝臓も胆嚢も弱り果て、立ち居振舞いがおどおどとなり、心神疲労し、寝てもさめても幻影を見、両脇の下には冷汗が流れ、両眼には常に涙がたまるという有様になった。
そこで諸方あまねく訪ねて明眼の師家につき、広く名医を尋ねたけれども、百薬投じていささかも効果なしという状態であった。
とあるように禅の修行を頑張りすぎた結果、心身がボロボロになってしまい広く名医を訪ねたけれど全く改善がみられなかったそうです。
そして白隠禅師の「内観の秘法」と言われる仰向けの姿勢での瞑想により、これらの症状を克服したと言われています。
白隠禅師が書かれた症状を現代で解釈すると肺結核、冷え、鬱などではないかと考えられますが、当時を考えれば納得できます。
というのも当時の瞑想は座禅で行う事が必須であり長時間の座禅により下肢の血流は滞り、それを修行だとしていたのでしょう。
やがて心身は衰弱し、耐えられない者は鬱になったり当時はやっている病気を患ったのではないかと思います。
そこで白隠禅師の仰向けの姿勢で行う内観法により心身の健康を取り戻していったのではないかと推測できます。
現代でも禅病になる人がいる
現代の禅病の多くは精神疾患です。
クンダリーニ覚醒やサードアイ覚醒を試みようと頭頂へ気を溜め込みすぎると脳に圧がかかりすぎて精神疾患になる可能性があります。
この症状を避けるために多くの指導者はグラウンディングをしたり、気を回すことを体得してから覚醒に臨むよう指導します。
頭寒足熱という言葉があるように頭は冷やさないといけません。
それなのに、どんどん頭に気を送ったのでは頭が熱くなり不調をきたしてしまうのは当たり前ですね。
頭に気を送るとドーパミンが分泌され神秘体験のようなものを得やすくなります。
脳内麻薬と言われるのはこういった理由からです。
この体験を得たくて無茶な気の送り方をするために精神疾患になってしまうのではないかと考えます。
また、もう一つ考えられるのが日常生活でも常に変性意識状態になっている可能性が考えられます。
瞑想が終わった後にしっかりと目覚めないまま修行を続けてしまい、現実と瞑想状態の区別がつかない状態になってしまうのではないかと推測します。
特に瞑想状態が深まると現実ではありえないような音や映像、体感を伴う事がありますので、この状態で日常を過ごすと一見気がふれたように思われる可能性もあります。
瞑想後はしっかりと目覚めるようにしたいですね。
心身疾患になる前に
頭頂に気を送る試みをする前に、これからお伝えする百会での呼吸をマスターしてから行う事をおススメします。
百会は頭頂にあるツボで宇宙と繋がる場所ともいわれています。
瞑想中に息を吐くときに百会から気がでていき、吸う時に空気中から冷たい気が入り上丹田に入る呼吸をすることを意識します。
余談ですが大地から気を取りこむときは暖かい気が入ることを意識し、下丹田、中丹田まで入れることが基本です。
小周天をマスターした人なら時間をかけず百会での呼吸ができるようになると思いますが、もしまだでしたら小周天から先に実践してみてください。
さいごに
KOU流気功瞑想では禅病対策として全身に気を送ることができるようになるステップを経て、最後に溜まった気を大地へ流し込む手順をお伝えしています。
せっかく瞑想を通じて心身を健康にしていくわけですから病気になんかなりたくないですよね。
ぜひあなたも禅病にならない安全な手順で瞑想をしていきましょうね。